昨今話題に出てます「中学の部活動問題」いろいろとご意見があろうかと思いますがこれはあくまで自論であって持論です。というのも今実際に関わらせていただいてて思うのはやはりできたら学校の先生に部活動は指導していただきたいと。これも教育の延長線上にあると思うからです。じゃなきゃ今はクラブチームに行ってそれぞれ活動する子もいるわけなので。時間や日数が限られてて(先生方の負担などで)野球など練習時間が少ないとか思うのなら最初っからクラブチームに行ってるわけであり。まぁ当然もっと根深いところにこの話の根幹があるのはわかってますが。。。
ここで一句✒
少子化も いろんな意味で 影響し
僕らの頃は子どもの数が多かったこともありかなりそれが盛んでありました。が少子化に比例し今は運動部だけでなく部活動全体が減ってるのも事実。でもだからこそそういった場を与えるってのも大事かと。なかには自分は野球をしていたけど事情でサッカーを教えなければいけないことに・・・とその苦しい学校の台所事情も。そらいろいろありますが、そうじゃなくうちの子もですがその他のクラブチームに行かず学校の部活を選んだ子たちってのはどう思ってそうしたんでしょうか?先輩がいるからとか親が野球部にいたからとか脈々と繋がってるその歴史をってことの意義が多分にあると思います。そんな思いってのはやはり地域の教育機関である学校に汲んでいっていただきたいと。
僕が中学3年の時、野球部の顧問の先生が変わりました。その理由はわかりませんが。その先生はそれまで卓球部。それこそまともにキャッチボールすらできない先生で、試合前のシートノックなどどこに飛んでいってしまうかわからない、さらには空ぶって。。。でもその先生は人一倍努力されたと。僕らもいっしょに頑張った記憶があります。結果、郡大会を勝ち抜き但馬総体まで行った記憶があります。そら嬉しかったですね。強くはないけど先生も含めていっしょになって野球をやった思い出があります。その思い出ってのはいつまでも心に残ってますね。
今息子たちは部員数が少ないので関宮学園さんといっしょに合併チームで頑張ってます。以前書きましたが市をまたいでの合併です。いろいろ諸問題もあろうかと思いますが事実そこそこにやってます。息子といつも話しますが、合併チームだからって言い訳はしちゃいけない、合併チームでもそこそこやるやん!って思われるくらいしなきゃ、と。できる環境を創っていただいてることに感謝しながらです。そういった思いでそれぞれの生徒、保護者は取り組んでいます。それが息子にとって思い出という財産になるのではなかろうかと。
やはり子どもたちにとってどの、なにがベストな環境か、またはベターであるか、その環境創りの担い手として学校があることに今も昔も変わらない。なので僕が思うにやはり「部活動」それも含めて学校であると。だから僕の中では「先生」ってのはいつまでも特別なのであります。
部活動があって生徒と先生、そして家庭がうまく連携しそれがひいては地域の活性化にもつながる。その中心が学校であり、また部活動の本質であると考えます。
最近のコメント