通夜にて想う
昨日友達のお祖母ちゃんが亡くなり昨日通夜に行ってきました。先月も同じく先輩のお祖母ちゃんが亡くなられその時も通夜へ。
このようなことを第3者が主観的に書くのもなんなんですが、少しばかり。
というのも僕のお祖父ちゃんは小学校3年の冬、9歳のときに亡くなり、お祖母ちゃんは大学3年の春20歳のときに亡くなりました。なもんでお祖父ちゃんとの思い出や記憶ってのもあまりないのが本当のところです。対するお祖母ちゃんとの思い出はたくさん。というのもかなりのお祖母ちゃん子だったのも事実であります。しかしながらお祖母ちゃんが老いていって最後は病院に入っていましたが遠く福岡にいたので見舞いにすら行かず、ましてや遊び盛り、田舎に帰ってもしょうがないよ、みたいな考えでいたので一度も病院へは行かずに、結局最期のときは母が病院で見送ったようです。その知らせを僕は福岡で受けました。しかも留守番電話で。おそらくバイトか遊んでいたかなんかだったんでしょうね。当時は携帯電話などあるわけもなく。今思えばそれが一番情けないし、老いていくお祖母ちゃんに何もしてあげられなかったなぁ~と後悔します。
「僕はよく後悔してはダメだ。後悔するくらいなら最初からするな。後悔するくらいなら反省して次に活かせ」、と自分自身に言い聞かせるし職場でもスタッフにそう当たることもしばしば。
しかしながらこのことに関しては本当に後悔しきりです。反省したところで次があるわけではないので。
昨日も、その前もそんなことを想いながら通夜での読経を聞いていました。
ここで一句
後悔を してもしきれぬ 想いあり
だから僕はお祖父ちゃん、お祖母ちゃんがご健在でいらっしゃる友達や先輩をうらやましく思うことがある。というのも、今なら少しはあの頃より何かしてあげられたんだろうな、と。でも、優しいお祖母ちゃんだったから「なにもせんでもええで」って言うんだろうな、きっと。
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今こうして栄治さんが頑張っている事が一番おばあちゃんも喜んでおられるのではないですか?
私も父の時は学生を卒業したてで携帯電話もない時代でしたので、遊んで帰ってきてから寮のおばさんから知らせを受けました
一番いい看取りとは何か?今にして思えば色々考えますが、ただ私も今回の事で、看取りも大切ですが、その後自分の中で亡くなった方をどれだけ供養してあげるか、という事も大切、言い方を変えれば不幸というものはいつ起こるか予想できるものではないので、やはりその後の方が大切なのでは?と思っています
栄治さんのように仏壇に手を合わせる習慣があればきちんと天国のおじいちゃんやおばあちゃんも見てくれていると思いますよ
私も本当におばあちゃん子だったので栄治さんの事がよく分かります
訳分からんコメントになりましたが、またゆっくり話そうね
投稿: A | 2012年9月 5日 (水) 07時59分
ちゃんと天国から見ててくれますよ。
ただ、だいじな人とはちゃんとコミュニケーションを元気なうちに日頃からとりたいですね。
投稿: 但馬屋惣兵衛 | 2012年9月 5日 (水) 08時45分