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2009年5月 5日 (火)

こどもの日~端午の節句~

今日は盛りだくさんです。

立夏…二十四節気のひとつ。暦の上では夏に入る。太陽暦で五月五日ころ。これから立秋(八月八日ころ)の前日までの九十日間が旧暦の夏にあたる。新緑の季節で、新茶が香り、北国では桜が咲き始め、北海道では馬鈴薯やマメの種まきが始まる。南の九州では麦が穂を出す。とあります。  確かにいい天気で暑いですね~。

こどもの日…国民の祝日。こどもの日は、一九四八年(昭和二十三年)に「子供の人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」として、祝日法で五月五日に決められた。また一九五一年(昭和二十六年)五月五日には、児童憲章が定められ「児童は人として貴ばれる。児童は社会の一員として重んじられる。児童は、よい環境のなかで育てられる。」と規定されている。こどもの日から一週間は「児童福祉週間」で、全国の児童館や公民館などで、子供のためのいろいろな催しが実施される。とあります。

端午の節句…端午とは、「月の初めの午の日」の意味なので毎月あるはずなのだが、端午といえば五月をさし、五月五日のことを「端午の節句」というようになった。五節句の一つで三月三日の「ひなまつり」が「女の子の節句」であるのに対して、五月五日は「男の子の節句」とされるようになった。男の子のいる家では、鯉幟、兜、五月人形などを飾り、柏餅や粽を食べ、菖蒲湯に入る習慣がある。日本の端午の節句は、聖武天皇(七二四~七四九)の時代に始められたとされる。とあります。

Ts3l01910001 うちもこの間から鯉幟をあげています。

奥のほうには名前ののぼりも。

こっちには名前ののぼりは風習としてはないのですが、

かみさんの実家のほうで見てたら欲しくなり、

僕が義父さん、義母さんに無理を言いました。

去年はまだ小さすぎてわからなかったと思うんですが、今年は何となくわかってるんじゃないっすかね?

兜(五月人形)は今朝親父とおかんが飾りました。僕は子供の頃からプラモデルやらなんやら組み立てるものが苦手で…。任せて仕事に出ました。

いろいろ贅沢ですね~。僕は三男坊主だったんで、鯉幟はありましたがくぐって遊んだくらいの記憶しかありません。あげてもらってない!というと、おかんが「あんたが覚えてないだけ!」と必ず言われます。だいたい小さい頃から「あんたは橋の下で泣いてたのを拾ってきてあげたんだで!」といわれ続け大きくなったんで。ところがどっこい今では電話の声が親父と区別がつかないくらい似てきてますからね。メーカー、問屋さん、お客さんまでもが「社長さんですか?」だって。たまには社長になりきって話を聞いたろうかいなぁ~と思ったりもします。やはり橋の下で拾われても(笑笑)親子なんですね!

ここで一句

遺伝子も ここまでくれば 関係なし

冗談ですからね!橋の下の話は!!!( ̄▽ ̄)

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コメント

私の子供の頃は5月人形はありましたが、こいのぼりは家の周辺にたてる事ができず、ありませんでした
さすが栄治さん宅の豪邸ですね、それに名前入りとはすごい(写真では見えませんが・・・)

名前入りはさすがすごいですね!!!!

長男の小さい頃には立てていましたが、最近ではめんどくさいので立てなくなっています。それというのも、振り出し式の釣竿のような鉄製の支柱なので、風が強くなると少し揺れますし、雷が近づくと鉄なので落ちるかもといって親父が仕事中でも「支柱を下ろしてくれ」と無理な電話がかかる始末・・・。
 次男には「お前は日置橋の下で拾った」ということにしておきます

たしかに昔は橋の下で拾ったとよく言われました(笑)
うちは橋が近いもんで・・・
鯉のぼり道からは見えませんね

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